【ブログ完結】ありがとう、さようなら
先日大学院の修了式があり、僕は無事に修士号の学位記を受け取ることができた。
実物を手にしてやっと、自分がちゃんと修了できたことが実感できた。
約6年に渡る長い長い道のりは、ここで終わりを迎えた。
ずっと開きっぱなしだった扉は、ここで閉じられたのだ。
本日をもって、このブログを完結とする。
上手く行かないことがあると、すぐにパチンコ屋に行った。
嫌なことがあると、それを理由にパチンコ屋に行った。
不安が重なると、パチンコ屋に逃げた。
そんな日々をずっと続けていた。
そんな日々はもう嫌だとずっと思っていた。
ある日、決心してもう一度立ち向かうことにした。
「これで最後だ」と心に決めた。
今思えば、そこから自分の人生は違った方向に進み始めたのだと思う。
「禁パチ」が成功したのかはよく分からない。ただ単に200と数十日間行っていないだけだ。
今まで何度もスリップしたし、これからもパチンコに行かない日々が続くのかどうかは、良く分からない。
ただ、禁パチを続ける中で、「パチンコ」でも「禁パチ」でもない、何か違う世界に行かなければならないと思うようになった。
「禁パチ」なんてきっかけにすぎない。
だけど、「禁パチ」することは良い機会だったのかもしれない。
自分自身を相対化して見る機会にはなっていた気がする。
このブログに未練はない。
だけど定期的にコメントしてくれていた人、気遣ってくれた人がいた。
今までありがとうございました。
最後に、これから禁パチを始める方、今も続けている方へ、
「禁パチ」を自分の人生を考え直す良い「きっかけ」としてください。
上手く行かなくても、悲観しないでください。
初めから上手くいくわけがない。
「良い」と思う方向に一生懸命進んでください。
僕たちは、良い方向に進むことができる。
そのためには、自分の足を前にすすめることだ。
それしか方法はありません。
どうか、迷わずに進んでください。
さようなら。
新しい一歩を
すっかり更新がおざなりになってしまったこのブログ。もはや自分にとって存在意義が失われつつある。アクセス数もすっかり減少してきたので、やめるには丁度いいタイミングなんだと思う。
来週に大学院の学位授与式があるので、その日をもってこのブログは完結させることに決めた。内容的にもズルズル引き伸ばす必要性はない。
あと一週間ほどでこのブログとおさらばすることになる。未練は微塵もない。軽い気持ちで「禁パチブログ」を始めたが、嫌な気持ちになることの方が多かった。
パチンコと同じように、禁パチにも汚い欲望が渦巻いている。
パチンコがう○こなら、禁パチはそれに群がるハエみたいなもんだ。みんな、う○こが大好きなんだ。
だから、いつまでたっても自由になれない。
大事なのは、ハエではない何かに転身することだ。
あるブログ主は、禁パチを「山登り」に例え、3ヵ月続ければ違う景色が見えると頻りに述べている。
僕は半分は正しいと思う。だけど、もう半分は間違っている。
3ヵ月続けた人の心境は、続けた人にしか分からない。違う景色が見えることだってあるだろう。それは間違いじゃない。
ただ、禁パチを「山登り」に例えるのは不適当だと思っている。禁パチは基本的に「我慢」することだ。3ヵ月続けても我慢は我慢だ。「山登り」のように綺麗な景色が見える営みではない。
3ヵ月我慢を続ければどうなる?いつか、爆発する。
何が言いたいのかというと、禁パチ自体にさほど意味がないということだ。
禁パチは、あくまでもきっかけでしかない。
その「きっかけ」に意味を付与し続けるようなことはやめた方がいい。
出口が見えなくなってしまうぞ。
行為が目的化してしまう前に、何か課題を見つけなければならない。
「なぜ自分はパチンコをしてしまうのか?その原因は何なのか?」
この問いを自分なりに突き詰めない限り、一生う○こに群がり続ける人生になる。
禁パチに原因を取り除く力はない。
その原因と向き合うには自分のアタマで考えて行動して、時には誰かに頼ることも必要だろう。
少なくとも、どんな「禁パチブログ」にも答えは載っていない。このブログにも。
答えは、自分で探してください。自分の目で見てください。
大切なのは、自分の弱さを認めて、その上で次の一歩を踏み出すこと。
初めから強い人など、そうはいない。そんな人はギャンブル依存症にはならない。
新しい一歩を、踏み出して下さい。
禁パチ244日目。
鋭く尖った刃のように
学業が一通り落ち着いたものの、張り詰めていた糸が弛んだように、僕は腑抜けた生活をしている。
仕事の疲れも取れにくく、何をしてもすぐに疲れてしまう。
1週間くらい休みをとって、知っている人のいない、何者にもならなくてよい日々を過ごしたい。
あらゆるものから解き放たれ、何のしがらみもない日々を、短期間だけでもいいから過ごしたい。
とにかくいま、とても疲れていて、弱っている。
話は変わるが、自分の気持ちを信じ、道を進み続ければ、必ず景色は変わってくると思う。風が強い日もあるが、ぐっと耐えていれば、己が研ぎ澄まされてくる。
余計なものがそぎ落とされてくるのだと思う。
1つの道に進み続けている人は、鋭く尖った刃のようにみえる。
極限まで研ぎ澄まされ、目の前のものを切り開いて行く。
何もしていなければ、少しずつ錆ついていく。錆が重なると、容易には落とせなくなる。
パチンコに行くことも、結局はこの錆を強くするだけだ。
一度身に付いた錆は、容易には落とせないぞ。
お前がすべき事は何だ?
心の底で望んでいることは?
本当はやりたいことがあるんじゃないのか?
「こんな人間になれたらいいのに」そう思っているのに、なぜそうなろうと努力できないのだ?
人間とは、そのような生き物なのだろう。
鋭く尖った刃のように生きるには、覚悟がいる。
もう2度と、昔の自分には戻れないのだ。
あの頃の、弱くて緩やかな生き方とは決別しなければならない。
どこか遠くに行って、自分を見つめ直したい。
禁パチ232日目。
全部終わった
先週末に論文の審査会があった。
4年越しでこの舞台に立ち、僕は自分の書いた修論について発表した。
緊張して喉がカラッカラになり、上手く声が出せなかった。手がずっと震えていた。
15分ほどで発表が終わると、後の15分は質疑に応答しなければならない。
昔お世話になっていた先生方から色々な質問を受けた。かなり厳しい意見が多かった。
「解釈の仕方が根本的に間違っていないか」とか「論じるにはデータが少なすぎないか」とか。
できる限りの回答は行った。でも、かなり苦しかった。
そして時間がやってきて、終了のベルが鳴らされた。
これにて、僕の大学院生としての生活は終わりを迎えたのだった。
僕の心はぐちゃぐちゃになった。
5年間もがき続けた男の結末は、こんなにもみっともない姿だったのだ。
僕は逃げなかった。最後までちゃんと向き合った。だけど、そんなに甘い世界ではなかった。
すっきりとした気持ちで終わることができると思い込んでいた。しかし現実は、自分の至らなさを思い知らされる結果となったのだ。
一生懸命頑張っても必ず報われる訳ではない。そんな当たり前のことに、身をもって知らされることになった。
終了のゴングが鳴り、僕はリングから降りた。
全部、終わった。
もがき続けた僕の5年間は、終わってしまった。
禁パチ223日目。
決戦は土曜日
明日、論文の審査会がある。自分の書いたものを、偉い学者達の前で発表しなければならない。自分の書いた、出来損ないの論文を晒さなければならないのだ。
質疑に答えられる自信がない。ましてや俺は、5年近く大学院から姿を消していたのだ。突然姿を現して、訳のわからない論文の発表をするのだ。恥をかくに決まっている。
…というネガティブな考え方は、もうやめよう。
この5年間、右往左往し、散々辛い想いをし、寄り道を繰り返してきた。だけど俺は帰ってきたんだ。
何のために帰ってきたのだ?
あの時の自分と向き合うためにだ。
そして明日、その答えを示さなければならない。
俺は上手く受け答えできないだろう。
キツイ質問をされるかもしれない。
恥をかくかもしれない。
それで、いいのだ。
それが、俺の本当の姿だ。それがこの5年間の答えなのだ。
ハッピーエンドでもバッドエンドでもない。
みっともないけど、一生懸命生きてきた自分の姿だ。
俺は完璧ではない。
俺は優秀でもないし、愚かでもない。
今あるのが俺の姿だ。それを否定して何になる?
もういいじゃないか。
自分を責めるのをやめよう。
ここまで辿り着いたんだ。逃げ場などない。
自分を許すんだ。
そこから始まるものがあるかもしれないから。
ああ、ここまで来たんだ。
やれることを、最後までやろう。
この「旅」も、明日で最後だ。
最後まで目をそらすな。
禁パチ214日目。
今更「禁パチ」について考える
「禁パチブログ」を書いてきたけど、この「禁パチ」というものにずっと違和感を感じ続けていた。
「禁パチ」って何なんだろう。パチンコ屋に行かないことが禁パチなのか、台に触らないことが禁パチなのか、それとも、パチンコ的な物を身の回りから排除することなのか。
「パチンコ行きたいなあ」そう思ってしまった時点でダメなのか。打ちにさえ行かなければ、動画見ていてもOKなのか。
100日間禁が続けば立派なのか、30日でも十分なのか。
「大学院を何とかして修了しよう」そう思い始めた頃から、それまで一生懸命「禁パチ」していた自分がどうでも良くなってきた。
土日は勉強するしかなく、他に選択肢はなかった。だから「禁」とかどうとか関係なかった。
今、目標を1つ成し遂げて思った。「禁パチ」って何なんだろう?
パチンコに行かないように努力することは悪い事ではない。
ただ、「パチンコに行かないように頑張る」って変な感じがする。
他の人の「禁パチブログ」を読んでいて思った。
パチンコに行かないぞと言っている人が、一番パチンコについて論じている。
パチンコはこんなにも悪い、行っていた自分が恥ずかしい、金儲けして楽しいか云々・・・
パチンコから遠ざかろうとしている人間が、パチンコから全く自由になれていない。
これは、実に悲しい現状だと思う。
手段が目的化することで、いたちごっこみたいになってはいないか?
ネットで禁パチブログを検索すると、沢山のブログが見つかる。
ランキングサイトでは、禁パチブロガー達がしのぎを削ってアクセス数を競い合っている。
みんな、パチンコから自由になりたいはずなのに、日々パチンコの記事を書いている。
手段が目的化しているからこんなことになるんだ。
必要なのは、「禁パチ」からも遠ざかること。
「パチンコ」でも「禁パチ」でもない、違う道を見つけ、新しい人生を歩むこと。
そんな気がしている。
このブログも、もうすぐ2年目になる。
俺だって全然パチンコから自由になれていないなあ。
禁パチ209日目。