へっぽこ社会人の禁パチ生活録

パチンコ依存症のアラサー社会人がジタバタしてみるブログです。

新ブログ始めます

新ブログ「続・へっぽこ社会人の禁パチ生活録」

tanthony02.hatenablog.com

 

皆さんこんばんは。アンソニーです。

ふと思い立って新ブログを始めることにしました。

内容は今までとほとんど変わらないと思います。

週に1~2回更新していくつもりです。

 

適当にゆるーくまったり、禁パチ生活を綴っていきたいと思います。

みんなでパチンコ辞めようぜ。

 

約二年前に「完結」したこのブログですが、その後の僕の生活についても新ブログにちょくちょく書いていきます。

 

気が向いたら読んで見てください。

【ブログ完結】ありがとう、さようなら

先日大学院の修了式があり、僕は無事に修士号の学位記を受け取ることができた。

実物を手にしてやっと、自分がちゃんと修了できたことが実感できた。

約6年に渡る長い長い道のりは、ここで終わりを迎えた。

ずっと開きっぱなしだった扉は、ここで閉じられたのだ。

 

本日をもって、このブログを完結とする。

 

上手く行かないことがあると、すぐにパチンコ屋に行った。

嫌なことがあると、それを理由にパチンコ屋に行った。

不安が重なると、パチンコ屋に逃げた。

そんな日々をずっと続けていた。

 

そんな日々はもう嫌だとずっと思っていた。

 

ある日、決心してもう一度立ち向かうことにした。

「これで最後だ」と心に決めた。

今思えば、そこから自分の人生は違った方向に進み始めたのだと思う。

 

「禁パチ」が成功したのかはよく分からない。ただ単に200と数十日間行っていないだけだ。

今まで何度もスリップしたし、これからもパチンコに行かない日々が続くのかどうかは、良く分からない。

 

ただ、禁パチを続ける中で、「パチンコ」でも「禁パチ」でもない、何か違う世界に行かなければならないと思うようになった。

「禁パチ」なんてきっかけにすぎない。

だけど、「禁パチ」することは良い機会だったのかもしれない。

自分自身を相対化して見る機会にはなっていた気がする。

 

このブログに未練はない。

だけど定期的にコメントしてくれていた人、気遣ってくれた人がいた。

今までありがとうございました。

 

最後に、これから禁パチを始める方、今も続けている方へ、

「禁パチ」を自分の人生を考え直す良い「きっかけ」としてください。

上手く行かなくても、悲観しないでください。

初めから上手くいくわけがない。

 

「良い」と思う方向に一生懸命進んでください。

僕たちは、良い方向に進むことができる。

そのためには、自分の足を前にすすめることだ。

それしか方法はありません。

 

どうか、迷わずに進んでください。

さようなら。

新しい一歩を

すっかり更新がおざなりになってしまったこのブログ。もはや自分にとって存在意義が失われつつある。アクセス数もすっかり減少してきたので、やめるには丁度いいタイミングなんだと思う。

来週に大学院の学位授与式があるので、その日をもってこのブログは完結させることに決めた。内容的にもズルズル引き伸ばす必要性はない。

あと一週間ほどでこのブログとおさらばすることになる。未練は微塵もない。軽い気持ちで「禁パチブログ」を始めたが、嫌な気持ちになることの方が多かった。

パチンコと同じように、禁パチにも汚い欲望が渦巻いている。
パチンコがう○こなら、禁パチはそれに群がるハエみたいなもんだ。みんな、う○こが大好きなんだ。
だから、いつまでたっても自由になれない。
大事なのは、ハエではない何かに転身することだ。

あるブログ主は、禁パチを「山登り」に例え、3ヵ月続ければ違う景色が見えると頻りに述べている。
僕は半分は正しいと思う。だけど、もう半分は間違っている。

3ヵ月続けた人の心境は、続けた人にしか分からない。違う景色が見えることだってあるだろう。それは間違いじゃない。

ただ、禁パチを「山登り」に例えるのは不適当だと思っている。禁パチは基本的に「我慢」することだ。3ヵ月続けても我慢は我慢だ。「山登り」のように綺麗な景色が見える営みではない。

3ヵ月我慢を続ければどうなる?いつか、爆発する。

何が言いたいのかというと、禁パチ自体にさほど意味がないということだ。

禁パチは、あくまでもきっかけでしかない。
その「きっかけ」に意味を付与し続けるようなことはやめた方がいい。
出口が見えなくなってしまうぞ。

行為が目的化してしまう前に、何か課題を見つけなければならない。
「なぜ自分はパチンコをしてしまうのか?その原因は何なのか?」
この問いを自分なりに突き詰めない限り、一生う○こに群がり続ける人生になる。

禁パチに原因を取り除く力はない。
その原因と向き合うには自分のアタマで考えて行動して、時には誰かに頼ることも必要だろう。
少なくとも、どんな「禁パチブログ」にも答えは載っていない。このブログにも。
答えは、自分で探してください。自分の目で見てください。

大切なのは、自分の弱さを認めて、その上で次の一歩を踏み出すこと。
初めから強い人など、そうはいない。そんな人はギャンブル依存症にはならない。

新しい一歩を、踏み出して下さい。


禁パチ244日目。

鋭く尖った刃のように

学業が一通り落ち着いたものの、張り詰めていた糸が弛んだように、僕は腑抜けた生活をしている。
仕事の疲れも取れにくく、何をしてもすぐに疲れてしまう。

1週間くらい休みをとって、知っている人のいない、何者にもならなくてよい日々を過ごしたい。
あらゆるものから解き放たれ、何のしがらみもない日々を、短期間だけでもいいから過ごしたい。

とにかくいま、とても疲れていて、弱っている。

話は変わるが、自分の気持ちを信じ、道を進み続ければ、必ず景色は変わってくると思う。風が強い日もあるが、ぐっと耐えていれば、己が研ぎ澄まされてくる。
余計なものがそぎ落とされてくるのだと思う。

1つの道に進み続けている人は、鋭く尖った刃のようにみえる。
極限まで研ぎ澄まされ、目の前のものを切り開いて行く。

何もしていなければ、少しずつ錆ついていく。錆が重なると、容易には落とせなくなる。
パチンコに行くことも、結局はこの錆を強くするだけだ。
一度身に付いた錆は、容易には落とせないぞ。

お前がすべき事は何だ?
心の底で望んでいることは?
本当はやりたいことがあるんじゃないのか?
「こんな人間になれたらいいのに」そう思っているのに、なぜそうなろうと努力できないのだ?

人間とは、そのような生き物なのだろう。

鋭く尖った刃のように生きるには、覚悟がいる。
もう2度と、昔の自分には戻れないのだ。

あの頃の、弱くて緩やかな生き方とは決別しなければならない。


どこか遠くに行って、自分を見つめ直したい。


禁パチ232日目。

全部終わった

先週末に論文の審査会があった。

4年越しでこの舞台に立ち、僕は自分の書いた修論について発表した。

緊張して喉がカラッカラになり、上手く声が出せなかった。手がずっと震えていた。

 

15分ほどで発表が終わると、後の15分は質疑に応答しなければならない。

昔お世話になっていた先生方から色々な質問を受けた。かなり厳しい意見が多かった。

「解釈の仕方が根本的に間違っていないか」とか「論じるにはデータが少なすぎないか」とか。

できる限りの回答は行った。でも、かなり苦しかった。

 

 

そして時間がやってきて、終了のベルが鳴らされた。

これにて、僕の大学院生としての生活は終わりを迎えたのだった。

 

 

僕の心はぐちゃぐちゃになった。

5年間もがき続けた男の結末は、こんなにもみっともない姿だったのだ。

僕は逃げなかった。最後までちゃんと向き合った。だけど、そんなに甘い世界ではなかった。

すっきりとした気持ちで終わることができると思い込んでいた。しかし現実は、自分の至らなさを思い知らされる結果となったのだ。

 

一生懸命頑張っても必ず報われる訳ではない。そんな当たり前のことに、身をもって知らされることになった。

 

終了のゴングが鳴り、僕はリングから降りた。

全部、終わった。

もがき続けた僕の5年間は、終わってしまった。

 

禁パチ223日目。

決戦は土曜日

明日、論文の審査会がある。自分の書いたものを、偉い学者達の前で発表しなければならない。自分の書いた、出来損ないの論文を晒さなければならないのだ。

質疑に答えられる自信がない。ましてや俺は、5年近く大学院から姿を消していたのだ。突然姿を現して、訳のわからない論文の発表をするのだ。恥をかくに決まっている。

…というネガティブな考え方は、もうやめよう。

この5年間、右往左往し、散々辛い想いをし、寄り道を繰り返してきた。だけど俺は帰ってきたんだ。
何のために帰ってきたのだ?
あの時の自分と向き合うためにだ。

そして明日、その答えを示さなければならない。

俺は上手く受け答えできないだろう。
キツイ質問をされるかもしれない。
恥をかくかもしれない。

それで、いいのだ。
それが、俺の本当の姿だ。それがこの5年間の答えなのだ。
ハッピーエンドでもバッドエンドでもない。
みっともないけど、一生懸命生きてきた自分の姿だ。

俺は完璧ではない。
俺は優秀でもないし、愚かでもない。
今あるのが俺の姿だ。それを否定して何になる?

もういいじゃないか。
自分を責めるのをやめよう。
ここまで辿り着いたんだ。逃げ場などない。
自分を許すんだ。

そこから始まるものがあるかもしれないから。
ああ、ここまで来たんだ。
やれることを、最後までやろう。

この「旅」も、明日で最後だ。
最後まで目をそらすな。


禁パチ214日目。

今更「禁パチ」について考える

「禁パチブログ」を書いてきたけど、この「禁パチ」というものにずっと違和感を感じ続けていた。

「禁パチ」って何なんだろう。パチンコ屋に行かないことが禁パチなのか、台に触らないことが禁パチなのか、それとも、パチンコ的な物を身の回りから排除することなのか。

「パチンコ行きたいなあ」そう思ってしまった時点でダメなのか。打ちにさえ行かなければ、動画見ていてもOKなのか。

100日間禁が続けば立派なのか、30日でも十分なのか。

 

「大学院を何とかして修了しよう」そう思い始めた頃から、それまで一生懸命「禁パチ」していた自分がどうでも良くなってきた。

土日は勉強するしかなく、他に選択肢はなかった。だから「禁」とかどうとか関係なかった。

今、目標を1つ成し遂げて思った。「禁パチ」って何なんだろう?

 

パチンコに行かないように努力することは悪い事ではない。

ただ、「パチンコに行かないように頑張る」って変な感じがする。

 

他の人の「禁パチブログ」を読んでいて思った。

パチンコに行かないぞと言っている人が、一番パチンコについて論じている。

パチンコはこんなにも悪い、行っていた自分が恥ずかしい、金儲けして楽しいか云々・・・

パチンコから遠ざかろうとしている人間が、パチンコから全く自由になれていない。

これは、実に悲しい現状だと思う。

 

手段が目的化することで、いたちごっこみたいになってはいないか?

ネットで禁パチブログを検索すると、沢山のブログが見つかる。

ランキングサイトでは、禁パチブロガー達がしのぎを削ってアクセス数を競い合っている。

みんな、パチンコから自由になりたいはずなのに、日々パチンコの記事を書いている。

手段が目的化しているからこんなことになるんだ。

 

必要なのは、「禁パチ」からも遠ざかること。

「パチンコ」でも「禁パチ」でもない、違う道を見つけ、新しい人生を歩むこと。

そんな気がしている。

 

このブログも、もうすぐ2年目になる。

俺だって全然パチンコから自由になれていないなあ。

 

禁パチ209日目。