へっぽこ社会人の禁パチ生活録

パチンコ依存症のアラサー社会人がジタバタしてみるブログです。

禁パチブログ、アイロニカルなもの

今日は仕事で嫌なことを沢山言われた。かつ忙殺されるような一日だった。

にもかかわらず、意外とへこたれていない自分がいた。

無理しているのか、強くなったのかのどちらかだろう。

まあどちらでもいい。今日という一日を明るく元気に乗り切ったのだ。

ワッハッハ。

 

こんな声が聞こえる。

「お前にもっと能力があれば、怒られずに済んだのに」

「できの悪いやつめ」

「お前など生きる価値もない」

「ダメ人間め」

全て、自分の中から湧き上がる声。

誰に言われた訳でもない。

要するに、自分自身から逃げたいのだろう。

 

「僕が、僕自身から逃げようとする」

何たるトートロジーであろう。

逃げているのは僕で、しかも僕から逃げようとしている。

 

人間って良く分からない。

悪くなると分かっていてその行為をとったり。

自分から地雷を踏んだり。

良い結果なんて一つもないのにパチンコを打ちに行ったり。

あえて穴に落ちようとする。滑稽だ。

 

*****

ある人はこう言った。「スリップします」と。

そうですか…。どうぞ、ご自由に。

今まで散々我慢しましたもんね。思う存分打ってください。

お疲れさまでした。

 

*****

なんか、禁パチブログって悲しいな。

哀愁に満ち溢れている。

書くネタも少ないし、明るい話題もないし。

もっと明るいブログが書けたらな。

 

1年以上禁パチ継続できたブログは1つしか見たことが無い。

98%が一年以内に失敗する。

そのうち50%は失踪する。

 

更新されなくなったブログに出会う度に思う。

まるで墓標が立っているかのようだ。

安らかにお眠りください。

アーメン…。

 

まあ、僕も散々スリップしてますからね。

ゾンビみたいなものですよ。

「何度でも蘇るのが強みです」

エントリーシートのPR欄にそう書こうかしら。

 

俺ってアイロニカルだな…。

禁パチブログは、悲しみに満ち溢れている。

おやすみなさい。

 

禁パチ129日目。

辛いのは自分だけなのか?

今日は一日のんびりと過ごした。

仕事と学業を両立させるためにはある程度の息抜きが必要だろうと考えて、今日は大して勉強はしなかった。

もう時間はないんだけど、かといって無理しすぎると仕事に響く。仕事が第一だ。それを忘れちゃいけない。

 

昼から銀行にお金を下ろしに行き、大学院の授業料を払ってきた。約30万円。

毎度のことながら、ボーナスが授業料で軽く吹っ飛ぶくらいだ。

前期・後期が丁度ボーナスの時期と重なるから、ボーナスがほとんど自由に使えない。

今日支払ったのは前期の授業料なのだ。滞納していてごめんなさい・・・大学の職員さん。

 

今年の前半でパチンコを打ちすぎた余波が未だに影響していて、禁パチを再開してからずっと財政難が続いている。夏のボーナスは全部パチンコに使ってしまっていた。

そんなこんなで大学の授業料を収めるのが遅くなってしまった。

この財政難もしばらくの我慢だ・・・がまん、がまん。

我慢するのは、大嫌いだ。

 

銀行でお金を振り込んだ帰り、ふらっと近くのパチンコ屋に寄ってみた。ファン感謝デーをやっていたからちょっとだけ覗いてみた。

久しぶりにホールに入った。客入りは結構よかったが、あんまり出てないな・・・という印象。見たことのない台が沢山あって、ちょっと心が揺らいでしまった。

しかし幸運なことに、僕は今お金がないのだ。

それでもバジリスクの巻物の音が頭の中を突き刺すように通り過ぎていった。

 

はっきりと言おう。大学院を無事に修了できたとしても、そのあともパチンコをしない自信など全くない。

むしろ緊張の糸が緩んで、また打ちに行ってしまうんじゃないかと恐れている。

今日ホールに行ったのも、やっぱり打ちたい自分がどこかにいたからだと思う。

研究から逃げて、楽になりたいと思っている自分がいる。

とにかく、今が辛い。

 

*****

辛いんだけど、たぶん辛いのは自分だけじゃない。

禁パチブログを書いている連中は、みんな打ちたくて仕方がないんじゃないかと思う。

だいたい、きっぱり辞めれる人間がブログなど書くはずがない。

辛いから、ブログを書いているんだと思う。

 

ブログを書いている人間は、いつ何時でも足を滑らせて奈落の底に落ちるか分からない。

自分だってそうだ。いつ足を滑らせて落ちてしまうかなんて分からない。

神のみぞ知ることだ。

 

だから怖いんだ。

 

「明日も前向きに生きよう」っていつも書いていたけど、前向きに生きるのは実はとっても怖い。

前向きに生きても、上手く行かないことがある。その時のショックが怖いんだ。

「どうせ自分なんかダメ人間だ・・・」と思って生きる方が、あるいは楽なのかもしれない。

というか、俺は結構ダメ人間だと思っている。

 

それでも、一瞬だけ光が見えたんだ。

そっちに行ってみたいんだ。

そのためには、前向きに、勇気を持って生きるしかないんだ。

 

*****

好きになれないあの人。実は僕よりももっと辛い思いをしているかもしれない。

いつもニコニコしていて気に入らないあの子。実は僕よりももっと前向きに生きようと励んでいるのかもしれない。

人の気持ちなんて分かるもんか。

だけど、僻んでいるのは自分だ。

 

ああ、何か良く分からないんだけど、怖いんだ。

 

もうちょっと勉強してから寝よう。

 

 

明日も前向きに生きよう。

禁パチ126日目。

暗闇の向こう側へ

*****

ほんの一瞬だけど、遠くに光が見えた気がしたんだ。

あまりにも遠くて、ほんの微かなものだった。

 

だけど僕の目は次第に霞んでいき、いつの間にかその光は見えなくなっていた。

またいつも通りの暗闇に包まれたのだ。

 

あの時、僕の目は確かに光をとらえた。それに間違いはない。

だからもう進むしかない。

光が見えたのなら、その方向へ進んでいくしかないんだ。

今更後退することなんてできない。もう遅い。

この体が動く限り、前進するしかないんだ。

*****

 

先週大学院でゼミがあり、修論の構想を発表した。

内容をある程度練りこみ、余計な内容を排除した。今の自分ができること、書けること、書きたいことを明確にした。

そして指導教授のGOサインが出た。内容に満足はしてもらえなかったと思う。だけど時間もないし、もうこれで行こう、という感じだった。

 

そして翌日に修論の題目を研究科の助教に提出し、受理された。

あとは残りの2カ月ちょっとでひたすら論文を書くのみだ。

もう時間がない。前に進むしかない。

 

ここ一ヵ月の間、とにかく頭を捻らせた。

平日は仕事で頭を使い、休日は研究室に寝泊まりして思考を巡らせた。

とにかく脳みそをフル回転させ続けた。

そして論文の提出期限まで、引き続きフル回転させ続けなくてはならない。

頭がおかしくなりそうだけど、やれるだけやってみようではないか。

 

「負けないこと投げ出さないこと逃げ出さないこと・・・」

どこかで聞いたことのあるフレーズが頭の中に流れてきた。

この冬を乗り越えて、僕は、春にたどり着きたい。

 

もうパチンコには逃げないよ。

打ちに行ったら楽になるんだろうなと思うけど、もう十分だ。

これまで十分に逃げた。パチンコは、僕に逃げ場を与え続けてくれた。

もう、君は必要ない。僕はもう、そんなに弱くない。

もう逃げなくても大丈夫なんだ。逃げたくないんだ。

 

*****

晴天が続くこともあれば、雨が降る日もある。

雨降って地固まる、ではないが、そうそう良い日が続くわけがない。

風が強い日は、耐えなければならない。

今が全てではなく、明日につなげよう。

明日はよい日になる、そう思うのは自由だ。

 

俺も、もっと頑張らないとな。

いつも決意ばかり述べていて、いけない。

とりあえず論文頑張ろう。

 

禁パチ125日目。

ちょっと昔の思い出

大学2年生の頃、僕は精神分析学にハマっていた。

特にハインツ・コフート自己心理学がお気に入りで、図書館にこもってはコフートの翻訳書を読んで自分自身を自己分析するというMっぽいことをしていた。

更にコフートの解説書も翻訳されていたから、僕はその本も読んでいた。

 

悩みの尽きない大学生だった。自分という存在が苦しかった。

僕は僕自身に囚われていた。

その苦しみから何とかして自由になりたかった。

 

ある日、コフートの解説書を翻訳した教授が隣県の大学にいることを知った。

しかもカウンセリングルームを併設しており、その教授からカウンセリングを受けることができたのだ。

僕はすぐにその大学に電話をかけ、その教授からカウンセリングを受けることを懇願した。

 

大学3年生の夏だった。僕は電車で2時間ほどかけて大学までいった。

とにかく暑い日だった。

教授はとても優しい人だった。

僕は持てる知識を総動員して教授に話をした。

 

教授は僕がよく学んでいることを褒めてくれた。

そしてこう言った。

 

「君はちょっと誤った解釈をしている」

 

そりゃそうだろう。僕の独学なんて屁でもない。

しかし教授が僕に伝えたのは、ちょっと違った見解だった。

僕は拍子抜けしてしまった。

 

「人間はもっとシンプルな生き物だよ。君は難しく考えすぎている」

 

そして続けた。

 

「要するに・・・愛がないと生きていけないんだ」

 

僕は困惑した。そんなことは分かっている。

そんなことが聞きたいのではない。

教授なりに僕を分析してほしかった。

だけど教授の見解は至ってシンプルだった。

学術的な言葉など一言も出てこなかった。

 

「愛・・・」

 

モヤモヤした気持ちのまま僕は大学を去った。

 

今思えば、あの見解は当時の僕にとってベストだったのかもしれない。

今思えば、である。

あの時の凝り固まった僕の頭では理解できなかった。

 

僕の人生とは、人を愛することへの恐怖と戦うことであった。

もちろん今もまだ続いている。

僕はすぐに自分を責める。

その裏には「自分など人に愛される価値がない」という考えがある。

 

僕は母子家庭で育った。

まだ離婚していない頃、父と母の喧嘩を見るのがとても辛かった。

苦しんでいる母の姿を見るのが辛かった。

 

いつしか僕は、自分がいけないから両親が喧嘩をしているのだと考えるようになった。

だから、両親が喧嘩をすると泣くしかなかった。自分が悪いと思い込んでいた。

いい子になろうと努めた。

自分がいい子にしていれば、両親は喧嘩をしないのだと。

 

そうしているうちに、自分が一体何者なのかが分からなくなっていた。

そのまま大人になってしまった。

それをアダルトチルドレンと呼ぶこともできるだろう。

 

離婚し、父が家を出ていった。

僕は嬉しかった。

だけど、僕の人生はそこから始まった。

辛い、辛い人生の幕開けであった。

中学1年生の時の話である。

 

*****

あの教授は僕に正しいことを教えてくれていた。

僕に足りないものを見抜いていたのだ。

今になってそう思う。

 

教授と出会ったあとから今日に至るまでの間、僕は何人かの人と付き合った。

どれも長くは続かなかった。

人の愛し方が良く分からなかった。

ある人は相手から去っていった。

ある人は、自分から断ち切った。

 

そして今度はパチンコを愛した。

残ったのは依存症だった。

今もご覧のとおり苦しんでいる。

もがき苦しみながら生きているのだ。

 

僕は、何か答えを見つけたいのだ。

この暗く長いトンネルを抜けて、新しい景色を見たい。

禁パチ100日目とか、365日目とか、そんなことはどうでもいい。

3か月間禁パチして見える景色なんて、禁パチ1日目と大して変わらないぜ。

自分の目が曇っていたら、何日続けても同じだろう。

 

禁パチを志した人は皆、長く暗いトンネルを歩み続ける。

景色のいい山なんかじゃない。

暗くてジメジメした洞窟のようだ。

 

もしあなたが、その洞窟から抜けた人であれば、どうか僕にその景色を教えてほしい。

僕を勇気づけてほしい。

 

禁パチとはえらい趣旨がずれているんだろうな。

僕は禁パチブログなど書くべきではないのだろう。

実は「禁パチ」にこだわっているのは自分であって、本当はもっと別の何かを目指しているのかもしれない。

 

しかし、長く暗いトンネルは続く。

抜け出すことなどできはしない。

だけど、歩みを続けよう。

 

ちょっとブログお休みします。

みんな禁パチ頑張って下さい。僕も頑張ります。

牙狼打っちゃ駄目だよ。

またお会いしましょう。では。

 

明日はどこへ行くのだろう。

禁パチ96日目

嗚呼、禁パチの日々(3か月編)

禁パチを再開してからだいたい3か月が経った。

我ながらよく頑張っていると思う。

パチンコの情報調べたり動画見たりは依然続いている。

でも店で打とうという気にはならない。

 

ホールで変な汗をかきながら

後ろめたい思いをしながら

大切なお金を浪費することなど

二度としたくない。

 

あんなに辛いことはない。

今はそう思える。

 

最近は人づきあいが割と楽しい。

紹介してもらった人と一緒にお酒を飲んだり

知らない土地で知らない人と仲良くなったり

なんだ、自分って意外と生き生きとしているじゃないか。

 

そういった自分に背を向けていたのは、自分だ。

パチンコは現実逃避の手段だった。

自分と向き合うことから逃げるための手段だった。

 

禁パチを続けていると、必ず調子のいい時期と悪い時期を繰り返す。

この悪い時期をどれだけ耐えられるか。

これは、日数が短い人も長い人も一緒だと思う。

 

禁パチを始めたばかりの人は、その閉塞感に苦しむ。

日数が長く続いている人は目的を見失い、案外スリップしやすい。

意識的に禁パチを続けている限り「自分はもう大丈夫だ」という考えが一番いけない。

そんなに余裕があるのであれば「禁」ではなく「脱」だろう。

「禁パチ」からさっさと撤退すればいい。

 

時間はみな平等に与えられている。

それをどう使うか、自分で考えることが許されている時代だ。

パチンコが好きなら、好きなだけ打ちに行けばいい。

嫌いなのであれば、打ちに行く必要などない。

 

良くも悪くも、人は人との関係の中でしか生きることができない。

人との関わりで苦しむこともあれば、人との関わりがこの上なく楽しいこともある。

コインの表裏みたいなものだ。

パチンコは僕をその苦しさから救ってくれていたのかもしれない。

だけど同時に、その楽しみも奪っていた。

 

上手くまとめられないが、今はそんな心境だ。

 

明日も前向きに生きよう。

禁パチ93日目

禁パチの醍醐味

禁パチには種類がある。

①一時的にパチンコを禁止する

②永久にパチンコを禁止する

③その他(やめたいけどやめられない状態)

 

僕は②でブログやってます。

③の時期も結構長かったですが。

 

僕には目標があるから、それが達成できればブログは終えるつもりだ。

できれば来年の春にはこのブログとおさらばしたい。

そうできるように頑張らねば。

 

禁パチを続ける上でブログを書くことはとても良い手段だと思う。

自分の生活や心境を綴ることで、客観的に自分を見ることができるからだ。

②の禁パチを志すのであれば、禁パチは自分の生き方を考えることとイコールになる。

 

逆に言えば、目的もなく禁パチ日数を積み重ねるだけであれば①とあまり変わりはない。

自分のことをしっかり見つめ、振り返り、生き方を考える。

自分はどういった人間で、どう生きていきたいのか。

その手段としてこのブログがある。

 

禁パチ初期は禁パチそのものが目的であってよいと思う。

しかし、禁パチ期間が長くなるなるにつれて目的を変えていく必要がある。

「禁パチ=目的」から「禁パチ=手段」に変えるのだ。

ただ日数を数えるだけでは意味がない。

 

パチンコに行かなくなった結果、どうなったのか?

自分はどう変わったのか?

そこを問うて行こう。

それこそが禁パチ実践の醍醐味のような気がする。

 

明日も前向きに生きよう。

禁パチ92日目

奴が来る

(※パチンコ機種情報を見たくない方は閲覧しないでください)

 

 

******

 

 「CR牙狼~金色になれ」が導入されたのが昨年の7月のことだった。

金色はインパクトのある筐体で注目を集め、現在も人気機種として稼働している。

そんな牙狼シリーズの続編となる機種が来週から導入される予定だ。

 

「CR牙狼~魔戒ノ花」

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早いところで10/13から導入されるらしい。

僕の近くのホールでは10/14に40台導入される予定だ。

導入を楽しみにしている人も多いのではないだろうか。

 

2014年11月3日、僕は81日継続していた禁パチを諦めた。

「CR牙狼~金色になれ」が打ちたかったからだ。

それから約1年が経とうとしている。

僕の禁パチは(一応)順調に続いている。そんな時に奴が投入される。

 

試打動画を見た。

なかなか面白そうじゃないか。

 

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おお・・・

 

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 うおお・・・

 

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うおおおおおおおおおおおおお!!

 

 

打ちたい(本音)

そう思うアンソニーであった。

 

 

・・・というのは冗談で。

いやでも、牙狼ってやっぱり魅力がある。

それは認める。年末年始はこの台で決まりだろうと思えるくらい人気があるし、よっぽどのことがない限り通路になることもないだろう。

 

禁パチを続けている人。これから始めようと思っている人。

この冬は山場になる。

牙狼打ちたい」という軽い考えで禁パチなど容易に終わってしまう。

だから、冷静に考えよう。

 

・確変突入率53%!

 →2%上がっただけ

 

・LFOG演出が見どころ!

 →歴代トップクラスでダサい

  それに色で期待度が異なる。青だとハイワロ。

 

・心滅リーチが盛り沢山

 →心滅の大安売りなんだよなぁ…

  試打動画見ていたら「克服」リーチでも普通に外れてたし。

  何が大チャンスなのか

 

・MAX規制前のラスト牙狼

 →出るかどうかは店次第です。

  今のホール事情を考えると、そう簡単に出してもらえるなんて思えないのですが。

  どうせ800回転くらいはまって単発食らうんだろうな。

  いつもの牙狼ですよ

 

いや、打ちたいのなら打てばいいと思いますよ。

実際楽しそうですしね。

でも僕は絶対打ちません。

 

誰かが過去に言ってました。

「あんなものは飾りです」

皆さんも牙狼のせいでスリップしないように気を付けてください。

 

 

明日も前向きに生きよう。

禁パチ91日目