へっぽこ社会人の禁パチ生活録

パチンコ依存症のアラサー社会人がジタバタしてみるブログです。

ある男の話

ある男がいた。

彼は大学3年生の時、些細なことがきっかけでパチンコを打つようになった。

初めて打ったのは1円の甘デジだった。3,000円負けた。

次の日にも打った。5,000円負けた。顔が真っ青になった。

二日間で8,000円を失ったのだ。

当時の彼にとってはあり得ない出費だった。

 

大学4年生の時、2万円を握りしめてMAXのゴジラを打ちに行った。

2万円使い、2万円返ってきた。心臓が高鳴ったことを覚えている。

その2万円がなければ生活ができなかったからだ。

思い返せばもうその頃には、生活をパチンコに使うようになっていたのだった。

それでも、奨学金をパチンコに使うような真似はしていなかった。わずかなバイト代から捻出して打っていた。

 

大学院に進学した。

彼はアルバイト先の職員とパチンコを打ちに行った。新台のガロを打った。1日で7万負けた。口座には2万円くらいしか残っていなかった。

家に帰り、近くのホールでサイボーグ009を打った。24連し負けがチャラになった。

その辺りから、投資額が大きくなっていった。5回に1回は勝てた。そのせいで4回の負けは頭に残らず、1回の勝ちだけが思いでとして残った。

パチンコ吉宗が導入された時、彼は一日で10万円負けた。

1800回ほど回し、4R通常を引いた。

死のうかと思った。その時の苦しさは今でも思い出せる。

にもかかわらず、そういった思い出は霞んでしまうのだ。

オーメンで18連。

コブラで32連。

仮面ライダーで10連。

換金しに行くときに手が震えた。勝者だと思った。

そんな思いでばかり残っている。

 

「大勝ちする可能性があるー」

 

そういった考えが頭の中に刷り込まれた。

負けていても「可能性がある」と考えるようになった。

奨学金をパチンコに使っていた。

大学院生の頃だけでいくら負けたのだろうか。彼の記憶には残っていない。いや、思い出したくないだけなのかもしれない。

 

彼は社会人になった。

社会人になってもパチンコをやめることができなかった。

暇があっては打ちに行き、その度に負けた。

スロットも打ち始めた。余計に負けがかさむようになった。

もう歯止めは効かなくなっていた。

この4~5年のパチンコ生活のなかで、彼の追加投資にストップをかけるものなど無くなっていた。

3連休に10万負けるなんてことが彼にはありふれていた。

 

ただ負けるがままに負けていた。

新台が出れば必ず打った。

「爆発するのではないかー」実際に爆発することがあった。

30,000発の出玉を4回経験した。

でも20回に1回くらいだった。

19回の負けはほとんど頭に残っていないのだ。

 

「辞めなければならない」

そう思い始めたのはいつ頃だろうか?

もしかすると、大学3年生の時からそう思っていたかもしれない。

2万、3万負けて、この「遊戯」が尋常なものではないと気づいていたはずだ。

吉宗で10万負けた日の苦しみを覚えているはずだ。

しかし、ここまでパチンコを断ち切ることができていない。

負ける度に苦しんだ。

だけど、勝ちを経験するとすぐに忘れてしまった。

 

彼の中に植えついた「パチンコ」は、彼が考えている以上に深くまで根を張っている。そして、続ければ続けるほどに深く深く身体の中に根を張っていく。

パチンコを辞めたければ、この根を自分の中から少しずつ抜き出していかなければならない。

 

パチンコに染まり切った自分に絶望するだろう。

打ちに行けない苦しみに苛まれるだろう。

だけど、根を抜き出すしかない。

遅ければ遅いほど手遅れになる。

 

「どんな手を使ってでも、パチンコを絶つべきだ」

彼はパチンコに染まり切った自分に焦りを感じ、そう思うのであった。