へっぽこ社会人の禁パチ生活録

パチンコ依存症のアラサー社会人がジタバタしてみるブログです。

【32日目】パチスロを打った

こんばんは。今日で禁パチ32日目です。

 

今日は祝日だというのに仕事に出た。誰もいない職場で仕事をし、ある程度片付くと気持ちも落ち着いたので帰った。

実はここ数日、かなりパチンコに触りたい気持ちが高まっていた。特に今日はどうしてもパチンコに触りたかった。禁パチを再開してから1か月が経つが、仕事の忙しさ、トレーニングによる身体の疲れなどいろいろ蓄積していて、発散する場がどうしても必要な気分になっていた。

そこで僕は考えた。ゲームセンターに行ってパチンコを打とうと。パチンコ屋にはどうしても行きたくなかったから、ゲーセンでパチンコに触れたら満足するのではないかと思った。

家の近所にある、入ったこともないゲーセンに行った。ゲーセンで遊ぶなんて5年ぶりくらいだった。正直、店に入るのが恥ずかしかった。店にはパチンコとパチスロが15台ずつくらいあった。古いものは4号機から、最新台といえばスロのモンキーターン2と攻殻機動隊くらい。店内は汚く薄暗い。普通の人もいれば、ここにしか居場所がないような雰囲気の人もいた。普段あまり見ない雰囲気の人が多かった。

僕はとりあえず攻殻機動隊を打った。1,000円も打てば当たるだろうと思い打ったが、全然当たらない。次の1,000円を両替し、また次の1,000円…結局600回転くらい回したが当たりを引けず。ゲーセンですら当たりが引けないのかと自分に呆れた。僕はどこまで引きが弱いのか。

その後別の台を打って当たりはしたが、トータルで2,800円も使った。ゲーセンでも平気で負けることができる。100円玉を28枚も使ったのだ。

家に帰って少し寝た。そして思った。どうして何も見返りがないこと知っていて、こうも金を使うことができるのだろうか。普通、何の見返りがないことを分かっていて2,800円も使うことはしない。しかし相手が遊技機になると話は変わる。そこらへんの人に2,800円あげるのとは話が違う。僕はあの遊戯から何の見返りがないことは分かっていたのに、当たりが来るまでレバーを叩いた。その行為の異常さがよく実感できた。とにかく当たってくれればよかった。

パチンコ屋だったら、一度噴き出したらお金が返ってくる。だから見返りがゼロな訳ではない。だけどその事実(勝てるかもしれない)によってこの行為のおかしさに気付けない。何の見返りがないと分かると、人はこんなにもお金は使わない。「勝てるかもしれない」という事実がとても強くて、遊戯に強力な価値が付与されている。

逆にいえば、パチンコ屋での遊戯はもはや「遊戯」ではない。お金がかかることで、強烈な刺激が生み出されている。パチンコはギャンブルだろう。しかも行為はかなり単調だ。お金がかかっていなければなかなか続けられるものではない。

今日僕が何千円もゲーセンで使ったのは、きっと当たりを得て快楽を得たかったからだと思う。でも、いざ当たっても何も楽しくなかった。もうゲーセンには行かないと思う。そしてパチンコ屋にも。禁パチをすると言っていて、ゲーセンで台に触れるのはNGなのかもしれないが、いい意味でも悪い意味でも、この遊戯のナンセンスさに気づけたし、ゲーセンでは見返りがないから根本的にパチンコ屋とは違う。ゲーセンに行ったからと言って禁パチに失敗したとは考えないようにする。むしろ、パチンコをしたくなったらゲーセンに行けばいいと思う。ゲーセンに行って、この遊戯の無意味さを実感してみるといい。

 

しかし、今日パチ屋に行っていたら有り金ぜんぶ持っていかれてただろうな。恐ろしい。それを考えたら2,800円くら安いものだ

でもそのお金で旨いもん食えたし、これからは控えようと思う。