【35日目】希望の芽
パチンコが無性に打ちたい。
でも、打ちたくない。
脳がパチンコを求めている。ハンドルをこの手で握って、球をドル箱に流し込む作業がしたい。
役物が飛び出るのを見たい。激アツ柄を見たい。
レバーを叩き、上乗せしまくって、優越感に浸りたい。ドル箱にコインを敷きつめながら、残ゲームを消化したい。
自分の中で渦巻く思いを書きなぐると、その行為の無意味さありありと実感できる。
だけど、なぜかその行為を渇望している。私は乾いている。
今、私はとても乾いている。パチンコ屋に行けば、この乾きは潤うのだろう。
だけど、そんな形で潤していいのだろうか?
乾ききった私の中から、新しい希望の芽が生まれてほしい。
私がパチンコに走ったのは、自分の人生が取るに足りないものだと思っていたから。
そう、私の人生は元から乾いていたのだ。それをパチンコという偽りの水で潤わそうとしたのだ。
だから、元から乾いていた私を、別の方法で潤わせてあげないと。
そうしないと、新しい芽は生まれない。