へっぽこ社会人の禁パチ生活録

パチンコ依存症のアラサー社会人がジタバタしてみるブログです。

新しい一歩を

すっかり更新がおざなりになってしまったこのブログ。もはや自分にとって存在意義が失われつつある。アクセス数もすっかり減少してきたので、やめるには丁度いいタイミングなんだと思う。

来週に大学院の学位授与式があるので、その日をもってこのブログは完結させることに決めた。内容的にもズルズル引き伸ばす必要性はない。

あと一週間ほどでこのブログとおさらばすることになる。未練は微塵もない。軽い気持ちで「禁パチブログ」を始めたが、嫌な気持ちになることの方が多かった。

パチンコと同じように、禁パチにも汚い欲望が渦巻いている。
パチンコがう○こなら、禁パチはそれに群がるハエみたいなもんだ。みんな、う○こが大好きなんだ。
だから、いつまでたっても自由になれない。
大事なのは、ハエではない何かに転身することだ。

あるブログ主は、禁パチを「山登り」に例え、3ヵ月続ければ違う景色が見えると頻りに述べている。
僕は半分は正しいと思う。だけど、もう半分は間違っている。

3ヵ月続けた人の心境は、続けた人にしか分からない。違う景色が見えることだってあるだろう。それは間違いじゃない。

ただ、禁パチを「山登り」に例えるのは不適当だと思っている。禁パチは基本的に「我慢」することだ。3ヵ月続けても我慢は我慢だ。「山登り」のように綺麗な景色が見える営みではない。

3ヵ月我慢を続ければどうなる?いつか、爆発する。

何が言いたいのかというと、禁パチ自体にさほど意味がないということだ。

禁パチは、あくまでもきっかけでしかない。
その「きっかけ」に意味を付与し続けるようなことはやめた方がいい。
出口が見えなくなってしまうぞ。

行為が目的化してしまう前に、何か課題を見つけなければならない。
「なぜ自分はパチンコをしてしまうのか?その原因は何なのか?」
この問いを自分なりに突き詰めない限り、一生う○こに群がり続ける人生になる。

禁パチに原因を取り除く力はない。
その原因と向き合うには自分のアタマで考えて行動して、時には誰かに頼ることも必要だろう。
少なくとも、どんな「禁パチブログ」にも答えは載っていない。このブログにも。
答えは、自分で探してください。自分の目で見てください。

大切なのは、自分の弱さを認めて、その上で次の一歩を踏み出すこと。
初めから強い人など、そうはいない。そんな人はギャンブル依存症にはならない。

新しい一歩を、踏み出して下さい。


禁パチ244日目。