曇りのち曇り、時々雨
先週の会議は無事に終わったものの気持ちは晴れず、むしろダークサイドに落ちようとしている自分がいる。
生気なく漂うように存在している自分がいる。職場でも表情暗く、先輩から気を使われる始末。だけど今は元気になれない…ダースベーダーみたいに黒い存在になりたい。
スターウォーズは見たこと無いけど…。
今日研究室で勉強していて、窓から雲一つない青空が見えた。その時僕が思ったこと。
「ああ、パチンコ打ちたい…」
なぜ青空を見てパチンコを打ちたくなったのかは不明である。しかし相変わらずパチンコに行けばこの欝々とした気持ちは晴れるのだと思い込んでいる。
パチンコを打ちに行っている人がうらやましい。
ブログを書いている人はパチンコをしている人を蔑む傾向にあるけど、僕は正反対でとってもうらやましい。
だって、何も考えずにパチンコ打ちたくないですか?スッキリすると思いますよ。
オ○ニーよりも気持ちいいかもしれない。最高じゃないか。グヘヘ。
パチンコをやめると志しているが、本当はとても打ちに行きたい。
なんてアンビバレントなんだろう。
「禁パチ」って根本的に不可能なんだろうな。論理的な話だけど。
論理では不可能であっても、我々はパチンコをやめなければならない!
ならば、精神論に頼るのみ!耐える、踏ん張る、我慢する。
これじゃあまるで踏み絵じゃないか。
絵を踏まざるを得ない。しかし内心は…イエスパチンコ様と共にあります!
どうかお許しください!アーメン。
それでも、慈悲深いパチンコ様は我々をいつでも迎えてくださる。
年末年始も休まず営業。なんて素晴らしいお方なのだろう。
ああ!もう二度とパチンコはしないと絵を踏んだ僕でさえ、あなたは受け入れてくれるのですね!おおパチンコよ!
そこでニーチェっぽい誰かが横やりを入れる。
「パチンコは死んだ」と。我々はパチンコ亡き世界を生きていかなければならないのだと。
辛いよね…町の中にはこんなにも沢山の教会(ホール)があるというのに。
ああ…やっぱりアンビバレント。
「禁パチ生活録」じゃなくて「我慢汁生活録」に変えようかしら。
禁パチとは我慢汁たらたらタランティーノの実践である。
ああ、たらりら。
僕も長続きしないだろうな。
まあいいよ。年末年始は教会内をうろついている自分の姿がリアルに想像できる。
ある人はこう言うかもしれない。
「そういうときこそ踏ん張るんです!」
おいおい、「踏ん張る教」の教祖様かよ。フンバー!
それもまた宗教だな。
そして僕は迷える子羊だ。メエェ~
禁パチ154日目。