禁パチする理由
前回は偉そうに書評なんてしてみた。
依存症関係の本を読んだのは今回が初めてだったけど、まあ読んでいて楽しいものではない。できるなら読みたい物ではない。
それでも、自分とは異なる考え方に触れることで視野が広がるような気がする。
今回読んだ本では、自分の中の隠された欲望に気付くことが大切だと書かれていた。それは確かに大切だ。「なぜ自分はパチンコ屋に行ってしまうのか?」その部分を理解しないことには、依存症を克服することは難しいのかもしれない。
パチンコのやっかいなところは、身体感覚で動いてしまうところだろう。
頭では「もう打ちたくない」と考えていても、身体的に台に座り、ハンドルを握るという動作だけでギャンブルが成立してしまう。何も考える必要がない。なんと恐ろしい機械なんだろう。
だからついつい打ちに行ってしまう。そして長時間打ち込んでしまう。
本当は打ちたくなんてないのに。
「自分の欲望に気付く」というのは、反対に理詰めの作業なんだろう。
うーん、理詰めでパチンコと戦ったところで、身体がホールに向かってしまうと意味がない。徹底的に理性を働かせて、身体の動きを封じるというのか。頭の中でパチンコをすることの無意味さを追求して、身体がパチンコに向かおうとすることを禁止してしまうのである。
でも自分がそこまで追求できているのかというと、そんなことは全くない。
体調崩して、お金も無くなって、もうパチンコに嫌気がさした。そして医者に言われた。
「本来は頑張って何かを成し遂げることで達成感を得る。だけどパチンコは簡単にそれができてしまう。」
そうなんだよ。人生が上手くいっていないから、パチンコに甘えようとしていたんだ。
せめてパチンコで達成感を得たいと。そしてホールの餌食になっていた。
そんな自分を変えたかった。
禁パチする理由はそれだけだ。
禁パチ54日目。